​堀川の歴史

1200年以上の歴史を持つ堀川と堀川通を、さまざまな時代の画像でご紹介します。出典:『一遍上人伝絵巻』『洛中洛外図屏風(舟木本)』『京都千二百年〈上〉』『なかぎょう』映画『夜の河』

​1200年の歴史

 

古代〜近世
 堀川通のルーツは平安京の「堀川小路」です。堀川は平安京造営の頃に開削され、大内裏造営の資材運搬に用いられた運河です。

 周辺に堀河院・高陽・冷泉院などの貴族が邸宅を構えましたが、中世に入ると材木業者が集まり、丹波・山城や土佐などから運ばれた木材を載せた筏が往来し、貯木場も設けられていました。当時の名残りは「丸太町」という通り名に残されています。
 江戸時代には染色に好適な水質の伏流水に恵まれた地区ゆえに染色業が盛んになりました。染料を洗い流す作業のために堀川の流れが彩られる、という風景は昭和40 年代まで見られたものです。

近代化された都大路 

 

近代〜現代

 1892 年(明治25)には東堀川通(四条~中立売)に線路が敷かれ、京都電気鉄道の北野線が開通。1918 年(大正7)には京都市営になり、1961 年(昭和36)7 月に廃止されるまで、小柄なN型車体は市民の足として活躍しました。 終戦が近い1945 年(昭和20)3月、空襲の際の防火対策として堀川通西側の建物が強制的に撤去され、その跡地は終戦後しばらく放置されていましたが、やがて市街地整備計画により道路拡幅の用地に充てられました。

​堀川の埋立て

 

 1960 年代には市内の下水道整備により堀川の水量が激減。加えて汚水・増水時の浸水対策や自動車増加などの問題から、1980 年代中期に御池〜七条間の堀川は暗渠化され、再び道路が拡幅されました。
街路樹が植栽された幅50 mの道路の両側に高層ビルがそびえ、五条通の交差点では歩道橋が四方を囲み、観光客を乗せた大型バスが各地から西本願寺・二条城へと行き交う……という現在の姿に至っています。
 今出川通-押小路通間と西本願寺前は、堀川の形状が良く残されています。近年、水辺の景観を評価する声の高まりを受けて、押小路以北の川底が遊歩道として整備され、花見や七夕のイベントが催されるなど、都心の憩いの場として親しまれています。

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​「堀川木陰まつり」のシンポジウムでの事例紹介をまちづくりのアイデアブックとしてまとめました。

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